借り物画像とか拾い物画像

私はあるウェブマガジンで、こじんまりとしたコラムを書いている。

そのコラム用に撮影した画像が、

よくわからない自動車アカウントに転載されている。
広告つきのブログも運営している。

単なる1アカウントに目くじらを立ててしまうのも、しみったれていると思う。
正直、こんな小さな記事なんか誰も気づかないだろうと、舐められた感もある。

ネットではあたりまえになってしまったが、
勝手に画像を転載することを「借り物です」「拾い物です」と書く人がとても多い。
もちろん、そういう人たちに悪気がないのは理解しているつもりだ。

しかし、描いたり撮ったりした側としては、捨てた覚えは一切ない。

そういえば、

某アーティストの過去の写真をネット上にアップしているのもよく見かける。
クローズな場でやりとりするのはまだマシとしても、
その写真に「ウォーターマーク」がついているものもあり、唖然としてしまった。

すでに「グレー」なことになってしまっているので、これ以上はとやかく言わないが、
「自分がされて嫌なことは人にはしない」

絶望、という言葉

「絶望」という言葉を安易に使うべきではない。

それこそ「言葉選び」にふれるのだ。
強い言葉かもしれないが、譲れない理由がある。
自分なりの経験で考えたことだ。

以前勤務していた会社で、10年以上制作に関わってきた情報誌が休刊になると決まった。
私はつい、SNSに「この絶望感」と投稿してしまった。

その投稿を社内の誰かが目にし、
私は社長室に呼ばれ、涙ながらに叱責された。
どんな思いで休刊をしたことかを。

「絶望」という言葉は、軽々しく使いたくなるが、
それ以上に重い言葉だということ。

思い知る機会はないかもしれないが、
その言葉の重さを一度、考えてみてはと思う。
 

AT限定免許

そういえば、ネットの話題でもうひとつ。

少し前に「AT限定(免許)」というワードがトレンド入りしていた。

調べてみると、先日「ひき逃げ」で逮捕された若手男性タレントの免許情報が流出。
その免許がAT限定であったという。

そこでゴシップメディアが
「AT限定免許なんてダサイ」と書き立てたことがトリガーだった。

ネット上では、案の定「MT&AT」論争が巻き起こっていた。
ニュースを知らずに、話題に乗っかる人々もいたのだろうが…。

みんな「怒り中毒」だ。

「免許の情報が流出したこと」に対して疑問に感じている人は、ほとんどいなかった。
個人情報が流出していることがおかしいのでは?
おかしいと思う部分が違う。

メディアが大衆をコントロールして「怒り中毒」にしている。

ゴシップメディアによると、
男性タレントと事故を起こした被害者が免許証を撮影していて、
流出させたと書かれている。

本当に画像の免許は本人のものなのだろうか?

そもそも「AT限定免許」という情報自体、真実なのだろうか?

どちらにしてもおかしいのだが、
「おかしい」と思考させることさえ麻痺させてしまっている気がする。

その後もネット上ではひたすら
「AT限定であることはどうか」という意見が延々と続き、不気味だった。

集団心理の恐ろしさが露わになるニュースだったと思う。

自分以外すべてミュートできたらいいのに

現在が最も良いと、自分の人生においてはそう思ってきたけれど、

「ネットの世界」においてはむしろ「はてな」の頃が心地よかった。

 

女性特有の共感と調和。

 

どこか勘違いした会員。

 

繊細すぎる人々。

 

コミュニティに対しては「もうたくさん」という思いがあるけれど、

あのコミュニティで発信することだけは楽しい。

 

周りの投稿をすべて、ミュートできればいいのに。

カバートアグレッション

カバート(コバート)アグレッションを知った。

私は心理学はまったくの無知だ。

 

サイコパスやフレネミーとも違う。

ある意味フレネミーに含まれるかもしれない。

 

良い人や被害者を装い、周囲を味方に他人を陥れる人。

 

覚えておこう。