絆だから

#アナとエルサの絆をふたたび

 

というハッシュタグを見て「絆」の意味を思い出す。

「絆」という言葉は、震災後によく見聞きするようになった。

一般的には「愛と信頼で強く結びついている」という意味だと思われているようだが、

体の自由を奪う「手かせ」や「足かせ」。
「人情にひかされて物事を行なう妨げとなるもの」
という意味が辞書にも記載されている。

“切っても切れない間柄”であるのは、縛りつけられているからなのだ。

私はアニメ好きなので「エヴァンゲリオン」も好んで観るのだが、
劇中で、主人公の碇シンジとヒロイン綾波レイ

綾波はなぜエヴァに乗るの? 」

「絆だから」

と、やりとりするシーンがあるのだが、そういうことだ。
綾波エヴァに縛られ、自由がないのだから。

このDiaryは私の考えを押しつける意図はまったくない。
ただ、その意味が通ってしまう事象は、あまりにも多い。

 

メディアの卑劣さ

「メディアは卑劣だ」

 

よくわかるし、そうなのだが、

「卑劣さ」は、幾種類もあるのだ。

 

断れない弱みにつけこみ、操る。

 

そうした状況を利用し、暗躍するメディアもある。

本当に許せない。

 

 

種まき

ほとぼりって、冷めるものなんだな。

穏やかになった。

まあ、海は荒れることもある。

 

そんなことより、種まきだ。

コロナ後の世界で生きるために。

小説

こんな文体でも、一応物書きとして活動している。

フリーになってからは5年がすぎた。

 

大学は映画制作を専門にし、シナリオ制作のための作法も学んだ。

小説を書いてみたいと思っているが、

中二病を発動させていた頃の感覚しかない。

 

ワープロに向かったとき、

あるいは真っ白なノートに書き出すときのワクワク。

ノッてきたときの快感だけ忘れられない。

あの感覚が欲しくて、書いてみたいだけなんじゃないだろうか。

 

でも、書きたいと思うのは「今だから」ではないのだろうか。

 

どうでもいい報告をするが、じつは読書がそんなに好きでない。

読むことは書くこと、痛いほどわかっているつもりだ。

 

最後に読んだ本は、神山健治監督が執筆した

ひるね姫」のノベライズだ。

 

アニメーションの監督で、小説も書ける。凄い。

こんなふうに書いてみたいと、読みながら思った。